2017年1月4日

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マクドナルドが唯一勝てないハンバーガー店! 日本進出が噂される「ジョリビー」まとめ

マクドナルドが唯一勝てないハンバーガー店! 日本進出が噂される「ジョリビー」まとめ

フィリピン生まれのハンバーガーチェーン「ジョリビー(Jollibee)」が2016年11月、2018年までに日本、ヨーロッパ、オーストラリアへ進出すると発表した。ジョリビーはフィリピン国内ではマクドナルドを遥かに凌ぐ、地元生まれのファーストフードチェーンである。現在、店舗数はフィリピン国内で約1000店、海外で150店舗を運営している。

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また企業全体としてはJFC(ジョリビー・フード・コーポレーション)の名で、他のフードチェーンやレストランとサービスの買収も積極的に行っている。1993年には外資系ピザチェーンのGreenwichを買収。2000年には同じ中華系ファストフードのChowking、2011年にはフィリピンのBurger Kingも買収している。
 
2005年には、ケーキ製造・販売のRed Ribonも買収し、グループ全体で3000店舗以上の規模となった。このほかにも多くの外食チェーンを買収・運営している。最近ではドーナツチェーンのダンキンドーナツ(Dunkin’ Donuts)とのジョイントベンチャーによる、中国進出計画を発表した。
 
◆ ジョリビーの創立
ジョリビーは、フィリピン国内でのマクドナルドビジネスを模倣したものだと勘違いされることがしばしばだが、実は全く違う。マクドナルドがフィリピンに進出し、首都マニラにショップを開店したのは、ジョリビーのオープンから3年後の1981年のことである。
 
マクドナルドが進出するまでの3年間でジョリビーは既に10店舗以上に拡大しており、1982年にはその後同社の主戦略のひとつとなる家族向けの誕生パーティーサービスや、セレブを起用したプロモーションなどを開始している。
 
ジョリビーの創始者トニー・タンは中華系フィリピン人であり、両親は中国福建省からの移民であった。経済的には比較的貧しい家庭であったという。マニラの大学を卒業したタンは、1975年22歳のときに開店資金を調達してフィリピン・ケゾン市にアイスクリームパーラーをオープンさせる。ところが、パーラー店内で販売していたハンバーガーなどのサブメニューの人気が高いにことに気が付いたタンは、この店舗をハンバーガーショップに改装、これがジョリビーとしての初店舗となった。
 
ちなみにジョリビーは元々のつづりは「Jolibe」であったが、フィリピン人がしばしば綴りを間違えてJolibeeとしていたため、そちらのつづりを採用し、1977年につづりを変更した。さらに陽気な、元気な、という意味のある「Jolly」と、マスコットを作ときに採用した蜂のイメージと掛け合わせて、「Jolly +Bee」とし、最終的に正式名が「Jollibee」となった。トニー氏によると蜂は忙しく働くが陽気なので、フィリピン人を連想させるから、と語っている。
 
◆ ジョリビーの躍進
アイスクリーム店をハンバーガーショップに改装してからわずか1年でジョリビーは7店舗に拡大。また翌年1979年には初のフランチャイズ・ライセンスを発行し、その後フランチャイズ展開で破竹の進撃を続けることになる。
 
売り上げ的には、1号店開店から10年で売り上げが10億ペソを越え、フィリピンのトップ100企業入りを果たした。また、89件にはブルネイに1店舗目を開店し海外マーケットにも進出。1993年にはフィリピン株式市場に上場し、90年代後半には、グアム、ドバイ、アラブ、クエート、サウジアラビア、ジッダ、香港、アメリカにも市場を拡大している。
 
2000年代に入ると、アジアンビジネスマガジンが、ジョリビーはGE、マイクロソフトに次ぐフィリピン第3位の企業であると発表するまでに成長した。2008年には「ジョリタウン」という子供向け教育番組の放送を開始したり、最近ではユニクロと提携してジョリビーTシャツを販売するなど、様々なアドバタイズメント戦略を投入している。その後も国内展開、海外進出を続け、昨年ついに世界1000店舗目をオープン。現在、年間売り上げ高は1000億ペソを突破した。この額は日本マクドナルドの倍以上の売上高である。
 
◆ ジョリビーの商品戦略
前述のとおり、ジョリビーはフィリピンでのマクドナルド進出を追従してハンバーガービジネスに参入したと思われがちだがそうではない。また、メニューも非常に柔軟であり、「ハンバーガー屋」ということへのこだわりがあまり感じられないのが特徴である。
 
まず、ジョリビーは開店初年度の1978年から既にスパゲティをレギュラーメニューに追加していた。創立者トニー・タン氏はこの「パーティー」のイメージを特に重視したようで、その後も「家族が集まりやすい店舗」、「パーティーのイメージ」をマーケティング戦略の中心として確立していった。
 
また、スパゲティのみならず「米とチキン」のメニューを開始したり、フィリピンのミリエンダ(おやつ)の習慣に合わせたメニューを出したりと、徹底的にフィリピン人向けのマーケティングを行っている。実際、ジョリビーの売り上げのほとんどは、ハンバーガーでなくライスメニューである。
 
余談ではあるが、フィリピン風のスパゲティは、第二次大戦後にフィリピンのパーティーメニューとして登場し、その後、フィリピンでは誕生日パーティーをはじめとする、あらゆるパーティーでの鉄板メニューとなっている。このフィリピン風スパゲティ、ご存知ない方もソーセージの入った甘いナポリタンをイメージしていただければ、ほぼ間違いない。このスタイルの起源は連合軍司令官のダグラス・マッカーサーが日本で食べたナポリタンを気に入り、その味をフィリピンで再現しようとしたことが始まりだと言われている。
 
◆ 既にハンバーガーチェーンですらない?
前段で、「ハンバーガー屋」ということにこだわりがないと述べたが、これに関しては、地方のジョリビー、特に中心部から外れた場所のジョリビーへ行くと面白いことを発見できる。というより、田舎っぽいところでJollibeeを見つけたら、入店してみるとすぐに気がつく。なんとハンバーガーが売っていないのである。すべての店舗で、というわけではないが、Jollibeeには、ハンバーガーがメニューに載っていない店舗が存在するのである。ハンバーガーを販売しないハンバーガー屋、なんだかダジャレのようだが冗談ではない。
 
この理由をJollibeeの内情を知る人物に聞いてみたところ「あまり売れないから販売しない」とのことであった。田舎の農村に近いぎりぎりのところにある店舗では、そもそも日常あまりハンバーガーを食べるような機会もなく、あまり売れないし、ジョリビーでもっともオーダーが多いのはライスメニューである。なので代わりにホットドッグのメニューを追加しているのだという。
 
これはJollibeeの戦略を如実に表しているエピソードのひとつである。既に同社は「ハンバーガーショップ」であることにすら拘りがないのである。ジョリビーは、フィリピン人のためにカスタマイズされた、フィリピン人用のファミレスというのが基本コンセプトなのだ。
 
◆ マクドナルドとジョリビー
一方、マクドナルドは1981年の初店舗オープンから、かなり長期間、経営的に苦戦を強いられることとなった。その理由のひとつに、マクドナルドのメニューは「フィリピン人にはしょっぱすぎた」という事実があったという。確かにジョリビーのハンバーガーはマクドのそれとくらべて非常に甘いし、ポテトも塩気が控えめだ(その代わりケチャップをつけて食べる)。実はマクドナルドはこの状況を打破するために、一定期間メニューを無料で提供して、カスタマーにマクド味に慣れさせるという手法を取ったという。もともとフィリピン人に合わせてメニューを変えたきたジョリビーと、カスタマーのほうを変えようとしたマクドナルド、なんとも対照的である。
 
しかし、マクドナルドは結局、ジョリビーの勢いには及ばず、その後ジョリビーの手法を踏襲することとなる。フィリピンのマクドナルドには、米とチキンのセット、子供向けのスパゲティセットなど、ジョリビーのアイデアを拝借し、人気メニューとなっているものも多い。マクドナルドの規格を完全に逸脱しているというか、マクドも柔軟になったもんだと思ったら、実はフィリピンのマクドナルド、2005年に完全にフィリピン資本オンリーとなっていた。これもマクドナルドがフィリピンで生き残るために選択した戦略のひとつなのだろう。
 
そもそも顧客のニーズに合わせたマーケティングをしなければビジネスとは言えないわけであり、そういう意味ではフィリピンではマクドナルドもかなり奮闘している。それでも現在ジョリビーは国内約1000店舗、マクドナルドは500店舗規模であるので、ジョリビーが2倍のシェア、ということになる。
 
◆ 日本進出について
さて、日本ではマクドナルドの評価が徐々に回復してきているようだが、Jollibeeの日本進出の鍵は、ジョリビーがどこまで柔軟に日本対応できるか、に掛かっているだろう。メニューをのみならず、商品、接客、内装を含む店舗力を日本的にローカライズできなければ、外食産業が苦戦している日本では生き残りが難しい。しかし、逆に言えば、ジョリビーがこれまでの柔軟さを生かし、日本向けにコンセプトを作り変えることができれば、可能性はあるのではないか。
 
お伝えした通り、ジョリビーのこれまでの戦略は現地マーケットが望むものに柔軟に対応して商品化する、というビジネスとしては至極全うな手法であった。なので日本進出においても市場のニーズに対応して、サービスを変化させてくるのではないかと期待してしまうのだ。
 
文・三宅一道(株式会社クリエイティブコネクションズ&コモンズ)
企業URL: http://cccjph.com/
Facebook: https://www.facebook.com/cccmarketing/
 
photo by Minghong

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