2017年7月13日

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ミャンマーのデザイナーが自国のファッションに倫理感を注入【前編】

ミャンマーのデザイナーが自国のファッションに倫理感を注入【前編】

ミャンマーが大量生産の衣料品製造拠点として発展する一方で、地元の若手デザイナーらはミャンマー発祥の衣料品の伝統を保全し、労働搾取の工場形態に一石を投じるために自国のファッションを利用しようと考えている。

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ヤンゴンの商業地区にあるブティックでは、Pyone Thet Thet Kyawさんが少数民族の伝統的な模様や生地を使った独自のデザインで、Aラインのスカート、ドレス、トップスを制作している。
 
例えば彼女は、ミャンマーの女性が体にフィットしたサロンのような巻きスカートと合わせてよく着用するタイトな上着に、inngyi柄の高い襟足を加えている。
「我々ビルマ人は、民族の伝統的な衣装を本当に大事に考えています。」と彼女はミシンの音の響く店内でAFPに対して言った。「こうした伝統文様の衣服を現代風にアレンジする場合は、あまり派手になり過ぎず、また現代風になり過ぎないことに注意しなければなりません。」
  
ミャンマー人は自国の伝統的な衣服についてとても誇りに思っており、以前の軍事政権下においても、東南アジア全域に広がっていた均一的な西洋ファッションの流入から固く保護されてきた。
軍事政権は50年もの間、国を封鎖して外国の影響を排除し、すべての公式メディアにおいて何を身に着けるかを厳しく管理していた。
デザイナーのMa Pont氏は、1990年代に軍事政権によって統治されたテレビ局向けに服を制作していた際、肩や脇を少しでも見せることは許されていなかったと言った。
「我々は本当に不自由を強いられていたのです。」と彼女は述べた。
 
この時代、多くの女性が野党指導者のAung San Suu Kyi氏が着用する独特なスタイルを模したデザインをこっそりと仕立屋に依頼するなどし、ファッションは特に政治的な意味を持つものであった。
 
約20年もの間自宅で軟禁された後に解放された日に、Aung San Suu Kyi氏が身に着けていた紫色の衣服は、すぐにヤンゴンの街で人気のカラーになったと現地メディアは報じた。
 
 
嗜好の変化
 
昨年ミャンマー初の文民政府の指導者となった、民主主義の象徴であるAung San Suu Kyi氏が公式の場で身に着けているエレガントなビルマの衣装は、今日でも依然として広く賞賛の対象となっている。
 
しかしなお多くの人が伝統衣装、特に男性と女性共に着用するサロンのようなlongyiを好む一方で、ファッションは変わり始めている。
ヤンゴンで成長しつつある中産階級を対象としたショッピングモールが街に立ち並ぶようになり、辺境の工場では若くて安い労働力が国際ブランドの衣料品を大量生産している。
ブティックデザイナーのPyone Thet Thet Kyaw氏は、こうした業界の裏側を自身で体験してきた。
 
10代の頃、彼女は郊外にある衣料品工場で数ヶ月働き、一週間に2000ミャンマーチャット(現在で2米ドルほどの価値)を得ていた。
その経験により彼女は自身のブティックを開業して衣料品を制作する若手女性を養成し、彼女らが自身と同じ運命を辿らないようすることを心に決めた。
 
「昼食に10分しかかけられなかったり、トイレに行くこともままならなかったりするなど、生産が台無しにならないよう私は常に監督する必要がありました。」と彼女は言った。「ファストファッションや倫理に反するファッションが継続される限り、我々は苦しめられることになるのです。」
 
【後編】へ
 
ソース:http://apparelresource.asia/news/item_2934.html
 
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ミャンマーニュース一覧▶https://www.digima-news.com/category/country/southeast_asia/myanma

 
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