海外ビジネスニュースを毎日配信!− DIGIMA NEWS

インドネシア:独裁政権から民主国家へ 技術立国目指し改革進める 83歳

1936年6月25日、南スラウェシ州パレパレ生まれ。バンドン工科大学工学部に入学後、中退して60年西ドイツ・アーヘン大学に留学。同大で航空工学博士号取得。航空機製造メッサーシュミット入社、エアバス製造などを手掛けた後、副社長に就任した。

70年代の石油ブームを背景に、スハルト氏が国営石油ガス・プルタミナのイブヌ・ストウォ総裁を通じてハビビ氏をドイツから呼び戻し、76年国産航空機製造IPTN(現ディルガンタラ・インドネシア)を設立、社長に就任した。78年、スハルト第3次開発内閣で研究技術担当国務大臣として初入閣。研究技術応用庁(BPPT)長官、複数の戦略的国営企業の社長も兼任した。

90年、インドネシア・イスラム知識人協会(ICMI)設立、初代議長に就任。国軍の世俗勢力に対抗する近代イスラム派の政治勢力として台頭した。

94年、旧東ドイツ製の中古軍艦39隻購入に絡む不正疑惑で、ハビビ氏らの関与を指摘した週刊誌テンポが発禁処分を受け、スハルト政権の言論統制に対する批判が高まった。インドネシア独立50周年の95年、開発を陣頭指揮した国産旅客機N250の試験飛行を成功させたが、批判を受け開発計画は中断された。

98年3月まで5期20年間にわたり研究技術担当国務大臣を歴任。この間、原子力や地下鉄、国産車などの開発計画に着手した。スハルト政権末期の98年3月副大統領に就任。アジア通貨危機以降の混乱や民主化要求デモの高まりを受けてスハルト大統領が同年5月に辞任し、これに伴い第3代大統領に昇格した。

民主化運動が激化する中、「スハルトの子飼い」と批判されながらもスハルト氏の不正蓄財捜査を後押しし、一族との決別を前面に出しながら暫定政権を運営、大統領の任期制限などを盛り込んだ憲法改正に着手し、99年には民主的な総選挙や東ティモール住民投票を実施した。

同年10月の国民協議会(MPR)による大統領指名選挙では、国軍司令官と政治・治安調整相を兼任するウィラント氏(現同調整相)を副大統領候補に据え再選を目指したが、東ティモール騒乱やバンク・バリ金融疑獄などで劣勢に追い込まれ立候補を辞退。大統領在任期間は517日だった。

退任後はゴルカル党の最高顧問として政界のご意見番を務める一方、自身の半生をつづった自著を出版。伝記映画の製作にも全面的に協力し、アイヌン夫人とのラブストーリー「ハビビとアイヌン」シリーズなどを大ヒットさせた。晩年はテレビのトークショーなどに頻繁に出演し、夫婦愛などを語る「愛の伝道師」としても話題を呼んだ。また、闇に包まれていたスハルト政権当時の舞台裏などについて熱弁を振るったり、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領など、新世代の指導者への期待を語ったりすることも多かった。(蓜島克彦)

ソース:https://www.jakartashimbun.com/free/detail/49443.html