2017年6月6日

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ベトナム・アオザイ縫製ビジネスの実情【前編】

ベトナム・アオザイ縫製ビジネスの実情【前編】

チャックサー(Trach Xa)村への旅は、田んぼを抜けた先にある先祖伝来のアオザイ作りを目的とした伝統工芸技術への旅でもある。
ハノイとその郊外を結ぶPhap Van – Cau Gie高速道路を通り、ベトナムの伝統的なロングドレスであるアオザイ作りで長い歴史を持つ手工芸村として北部地域で有名なチャックサーへは車で約1時間半の道のりであった。

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訪問者向けの錆びた看板に英語とベトナム語で「観光地:チャックサー仕立て村」と書かれたこの村は、緑の水田と満開の美しい蓮の池に囲まれていた。
収穫期には村の端から端までを結ぶコンクリートの小道の上に黄色い米粒が広がる。
     
観光業促進の努力にも関わらず、ここに住むほぼすべての村民が仕立屋、裁縫師かその見習い、商人のいずれか同じ職業に就いているが、その就労時間をどのように縫製と農業に振り分けるか別としても、農業が依然として大多数にとって主な収入源となっている。
   
「過去、稲作とドレス縫製でやっていくのは今よりもずっと厳しいものでした。」と中規模のアオザイ縫製ビジネスを経営するLe Van Duan氏(48歳)は言った。「今では安定していますが、子供達を学校に通わせるためにまだ農業で生計を立てねばなりません。」
「私達の先祖はかつて、家族の中で男性だけにアオザイの縫製技術を伝承していました。」とDuan氏は言った。
「そんな中、私はアオザイの制作方法を叔父から学びました。」
  
繁忙期には男性は家で縫製を行い、女性らが外に出て農業に従事する。
ベトナム文化についての多少の知識があり、男女それぞれに割り当てられた役割が重要な意味を持つことを理解している外部の者はほとんど、それは奇妙なことに聞こえる。ここチャックサーではこの習慣を大きな論争もなく何年にも亘って続けているが、それは単純に経済的な理由からである。
  
「私も妻もアオザイを作ります。私が生地をカットしている一方で妻がパッチワークを行い、子供たちが時々手伝ったりします。」とDuan氏は言った。
「私の妻は半マイルほど離れた別の村出身です。彼女はアオザイの制作方法を学び、ずっとここに住むことに決めました。」と彼は隣の部屋の妻に微笑みかけ、空色のシルクの帯に図面を取りながら話した。
  
Duan氏は20年以上にわたりビジネスを行っており、チャックサーにおけるアオザイ家族経営の成功事例の1つとなっている。
彼の店では約10人を雇用しているが、すべての村民の仲間である。こうしたビジネスでは隣人を雇用するのが一般的である。またアオザイの主要市場はハノイのような大都市であるため、国内外のバイヤーに対する売上処理を行うには、組織的なギルドのような協同組合を持つことが重要となっている。
  
Duan氏は他の省からやって来た顧客に約5時間待ってもらい、オーダーメードのアオザイを作るということを日常的に行っている。
例えば昨日も、チャックサーまで車で約5時間の距離にあるイエンバイ省から来た女性が、日曜の集会用のドレスを仕立てるために彼の店にやって来た。
「私は5人の子供たちがまだ小さい頃に、どうやってアオザイを縫うのか教えました。」とDuan氏の妻であるToanさんは言った。
Duan氏は20歳の時に一度ハノイに向けて村を離れたことがある。
  
当時大半のチャックサーの男性は若い時期に大都市に出向き、裁縫師として働いていたと彼は言った。Duan氏は2006年に帰郷した後、村で最初に自身の縫製ビジネスを開始した。
 
昔は中産階級の間でステータスシンボルと考えられていたアオザイを購入する余裕のある人を見つけることは、今よりもはるかに困難であった。そのためチャックサーの村人は、顧客を探すためによく旅をしていた。おそらくそのことが、アオザイ縫製がなぜチャックサー村において男性の仕事とされたのか、そしてこの工芸品が何世代にも渡って主に家族の中でも男性に伝承されていったのかの所以である。
 
(後編へ続く)
 
ソース:http://apparelresource.asia/news/item_2895.html

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