2019年9月18日

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • copy

バハマ:ハリケーン「ドリアン」、私を救った1本のロープ

バハマ:ハリケーン「ドリアン」、私を救った1本のロープ

[マーシュハーバー(バハマ) 6日 ロイター] – ロイターの依頼でハリケーン「ドリアン」の写真を撮るためマーシュハーバーに向かった私は、飛行機に乗る前、バハマで消防救急士として働く従兄弟に連絡した。彼は電話を切る直前、謎めいたアドバイスをくれた。「ロープを持ってくるのを忘れないように」。

この記事の続きを読む

 
振り返ってみれば、そのロープが私の命を救ってくれたのかもしれない。
 
私はバハマの首都、ナッソーの出身だ。フリーランスのフォトグラファーとして約3年間、ロイターのために写真を撮っている。ほとんどはハリケーンの写真だ。
 
最近まで私が目にした最悪のハリケーンは、2016年、ハイチで500人の命を奪った「マシュー」だった。停電は3週間も続いた。ハリケーンの「目」がニュープロビデンス島を通過、ナッソー南部は一部地域が壊滅した。
 
<桁違いの猛威>

だが、今回のドリアンの猛威は桁違いだった。
 
8月30日遅く、私は小さな双発機で、グレートアバコ島マーシュハーバー空港に降り立った。昔から観光客に人気のある町で、富裕層が別荘を構えるにも適しているし、釣りを好む人にとっては非常に魅力的なマリーナもある。
 
そんな美しい風景が、ドリアンの襲来で想像を絶する姿に一変した。
 
カテゴリー5のハリケーンに分類されたドリアンは、最大風速時速185マイル(秒速82メートル)、瞬間最大風速は時速220マイル(秒速98メートル)に達した。カリブ海で発生するハリケーンとしては、史上最強の1つにランクされる。
 
5日の時点でバハマにおける死者は30人に達し、なお数千人が行方不明となっている。
 
<襲ってくる水、そして火>
 
風の音が変わったのに気づき、低気圧のために耳鳴りを感じ始めた。そのとき、私は独りでホテルの2階にある自分の部屋にいた。
 
土砂降りの雨が続き、部屋のドア枠の周囲とバスルームの窓のスラットから水が噴き出してきた。ドアが吹き飛ばされた場合に直撃されないよう、私は部屋の隅に逃れた。
 
雨漏りでテレビがショートし、火を噴いた。ボトルに入っていた水をかけて消火しなければならなかった。そして、停電になった。
  
ハリケーンの「目」が通過している間は、風雨が治まり、部屋を離れて写真を撮ることもできた。ドリアンの巨大さゆえ、「目」のなかにいる時間も尋常でなく長かった。
 
だが、すでに椰子の木はすべてなぎ倒され、ホテルから100フィート(30メートル)離れていた海面は15フィート(4.6メートル)まで迫っていた。マリーナは水面下に没しており、見ることさえできなくなっていた。
 
やがて、風が再び強まり、私はほうほうの体でホテルに逃げ帰った。
 
<宙を舞う石や瓦礫>
 
ホテルのロビーで、友人のミシェルに偶然出くわした。彼女はフィットネス/ダンスのインストラクターで、この近所に住んでいる。彼女は避難場所を求め、小さな救命犬「ココ」とともにホテルまで泳いできた。「ココ」はプードルとテリアの雑種で、ハリケーンにも動じていないように見えた。
  
嵐による高潮を警戒して、私たちはロビーから2階にある私の部屋に上がった。途中で、やはり避難場所を探していた地元メディア関係者3人と出会った。
  
荒れ狂うハリケーンは容赦なく続き、私は外界との連絡手段をすべて失った。その状態は36時間ほど続いた。あの規模のハリケーンが、それだけの時間、ほぼ同じ場所に滞留するのは異例だ。あたりには暴風で巻き上げられた潮の香りが漂い、音を立てて吹きすさぶ風に鎮まる気配はなかった。
 
部屋の海に面した側にはバルコニーがあり、ハリケーンにも耐える驚くほど頑丈なフェンスで囲まれていたが、そのフェンスも崩れ始めた。
 
私は、従兄弟に言われて持参してきた長いロープで、フェンスを固定した。
 
暴風で吹き上げられた石や瓦礫が宙を舞っており、そのフェンスが私たちを守ってくれなければ、いつ命を落としても不思議はなかっただろう。
 
<安堵が絶望に>
 
ハリケーンが去った後、見る影もなく変わり果てた風景に足を踏み入れた。「フロント・ロード」に近い波止場の厚板は、ほぼ残らず剥ぎ取られていた。
  
頑丈な鉄骨とセメントで作られた住宅やビルでさえ、まるでレゴで作られたかのように打ち倒されていた。
 
アバコ産の松は耐久性の高さゆえにバハマ諸島の人たちに愛されてきた建材だが、その松で作られた有名な2階建てのビルも、基礎から押し倒されて、道路に横たわっていた。
  
下見板張りの老朽化した家々が並ぶ「ザ・マッド」と呼ばれる近所の地域は、跡形もなく潰れていた。大気中には死臭が漂っていた。
 
ハリケーンが去ったとはいえ、人々には何一つ残されていなかった。彼らは命が助かったことに安堵していたが、食料など必需品の供給は限られていた。安堵はまもなく絶望に転じ、至るところで略奪が発生した。
     
あのような情景はこれまで見たことがない。次のハリケーンを取材するときはどのように感じるのだろう、と思ってしまう。

だが次の取材の機会が来ても、私はもうサバイバルのための非常に重要なスキルをいくつか身につけている。緊急持ち出し用品に加えておくべき基本的な品もいくつか分かっている。
 
その1つは、完全防水の袋だ。乾いた下着がどれほど重要かは言葉に尽くしがたい。
 
そして、欠かせないものはもうひとつ、1本のロープである。
 
(大紀元:翻訳:エァクレーレン)
  
ソース:https://www.epochtimes.jp/p/2019/09/47159.html

この記事の提供会社
メルマガ会員  
 

出島